うわっつらの写真が多い世の中です

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ぼくはスナップで今まで街の人を無許可で撮影していました。

ある時から人をさけるようにもなったんですが…。人を無許可で撮るということは置いておいてスナップで人を撮ることに疑問を持ち始めたわけです。

そもそもそこに表現があるのか?物を撮ることもそうですが、スナップを撮ることでスナップを撮る人と出会うことが増えるんですが、多くの人が人を撮ってますね。でも正直なにも感じません。ただ有名な写真家がスナップで人を撮ってるから自分もっていうのが感じられるわけです。自分を見つめ直してもその傾向があるような気がします。

そんなものは表現でもなんでもなくてただのままごとではないか?なんて思います。

真似が悪いとかではなく、ただなんかいいから撮ろうとか…それはもう写真でない気がします。

また現代においてパッと見て派手な写真が好まれるように写真の本来の表現からかけ離れただのうわっつらの写真だけが量産されているような気もします。

イケメンじゃないけど雰囲気イケメンだよねみたいな、写真として素晴らしくないけど雰囲気が素晴らしいよねみたいな写真が増えてると思います。

ただ現代においてそういう写真に需要があるのもわかります。

写真とは本来写っている被写体だけではないはずなんです。その奥にもっといろいろ入ってるはずなんですが。それがない写真を撮る人が多すぎると思います。被写体の珍しさや奇抜さ、カラーでごまかしている人が多いような気がします。

あとぼくもそうだとなるんでしょうが、モノクロもモノクロにするだけでなんとなく良いよねってなるのでそれに頼っている感じもありますね。

実際その渦にいるとそれが良いとなるのでなかなか気づけないのも事実ですがね…。ちょっとがんばって一歩引いて見てみたら全然良くないと思うかもしれませんよ。